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永遠の愛を誓う相手は神様でも国王でも国民でもなく。
ただ、互いにのみ誓いなさいとトクガワ王は微笑んだ。 心の中で驚愕しながら、表には出さずそっと神父の方を見る。 老齢ではあるがきちんと背の伸びた白髪の神父は、苦笑しながらうなずいた。 ああ、それでは彼が仕事をできないではないか。 ちらりととなりを見ると、細やかな刺繍のされた白いヴェールの向こうでアルト姫がにこりと笑った。 唇を小さく動かして、何かを伝えてくる。 「仕方ないのないお父様ですこと」 シェリル王子は、耐え切れずにしのび笑いを漏らした。 「それでは誓いましょう。アルト姫。私の愛は永遠にあなたに捧ぐと」 「私のすべてを、新しきフロンティアの王に」 トクガワ王以下王家とそれに連なる貴族らの暖かい拍手に包まれながら、ふたりは唇を重ね合わせた。 眼下でしきりに手を振る大勢の民衆たちに手を振り返しながら、アルト姫はとある一角を目にしたところで息を呑んだ。 全身黒の皮服を見につけ、長いマントも黒で、風に揺らぐとたまに濃紺にも見えた。 羽飾りのついた鍔の広い帽子で顔は見えないが、一瞬きらりと光ったのは眼鏡だろう。 (ミシェル) 彼は、こちらの視線に気づいたのか、一瞬顔を上げ、軽く手を振って、背を向けた。 (あ) 何故だか、きっともう二度と会えないのだろう、と姫は思った。 「アルト姫?どうしたのですか」 ふと、笑みの消えた姫の表情をみとめてシェリルがそっと肩を抱く手にわずかに力をこめた。 「いえ、みなが祝福してくれるものですから」 答えにならない応答をして微笑んだ。 「これから忙しくなりますね。戴冠式も控えておりますし、諸外国の大使から謁見の申し出もすでにきております」 「はい」 すでに一年先まで公務の予定がびっしりだった。 婚儀の日、母であるギャラクシー女王は何も言わず、ただそっと息子の頬をひと撫ですると改まって祝福を述べた。 それは、他国の王となるシェリルへの決別だったのだろう。 そんなギャラクシーから、すでに駐在大使を派遣したいとの要請があった。 決断するのもシェリルである。 「戴冠式を終えれば、陛下とお呼びしなければなりませんね」 「あなたはもう姫ではなく、王妃ですね」 呼ばれ慣れない単語に思わず立ち止まるのを忘れることがあるかもしれない。 「ですがふたりだけのときは名前を呼んでください。アルト、と」 「では私のことも」 「おふたりとも」 背後から遠慮がちに声をかけられ同時に振り向くと、やや困惑したような顔でルカが立っていた。 今後も引き続きシェリルの側近として、今度はフロンティア国王に仕える身となる。 「そんなにお互いの顔ばかりご覧になってないで、民衆の方々にちゃんとご挨拶してくださらなくては」 人前で公然といちゃつかないでくださいね、とからかうようにたしなめると。 若き時期フロンティア国王とその妃は、慌てて眼下に手を振り返す任務に戻った。 不自然にならないようにアルトはもう一度、青の騎士を探したが、彼の姿はもうどこにもなかった。 +++++++++++++++++++++++++++++++++ 「なんか、アルトがミシェルに未練あるみたいじゃないこれ」 ああ疲れた、と衣装のベルトをはずしながら、シェリルは唇を尖らせた。 「さすがキャシー、いえグラス中尉。なにげにこれから始まる不倫ドラマへの布石というわけですね」 「んなわけあるか!」 へらへら笑いながら帽子を脱ぐミシェルに、アルトはかっと顔を赤くして怒鳴った。 「どこの世界におとぎ話の続編が不倫物語になる芝居があるんだよ!どこの昼メロだ」 なんだか、自分が(いやアルト姫が、だが)ミシェルに未練があるようなシーンは確かにおかしいだろう、とアルトも思った。 これではまるでヒロインがハッピーエンドに不満を持っているみたいではないか。 「でもでも、すごく良かったよ!エキストラのみんなもたくさんいてすごかったね!」 そのエキストラにまぎれてさかんに拍手を送っていたランカが、可愛らしい町娘のドレスを着たまま頬を紅潮させて言った。 ナナセが、<彼女のためだけに>デザインしたらしい。なんだその贔屓は、とは誰も突っ込まなかった。 事実、可愛かったからである。 (私だってドレス着たかったわ) まあ仕方ないけど、とこっそり胸中で呟いて、にこやかにランカの手を握る。 「ありがとうランカちゃん。一緒に歌った主題歌、最後のエンディングでぼろ泣きした観客も多かったみたいよ」 「はい!シェリルさんと一緒に歌えてすごく嬉しかったです!」 なんだか歌姫ふたりで盛り上がってしまった。 「はい、みんなお疲れ様。打ち上げやるから、着替えて片付けたらエキストラ用控え室に集合ね」 キャシーが両手のひらをぱんぱん叩きながら告げる。 彼女のとなりで酒だ酒だ、ああランカ似合うなそのドレスまるでおまえがヒロインみたいだと、ぶつぶつ言っているオズマが肩をすくめる。 「なあキャシー、軍人やめて小説家やろうなんて本気で思ってるんじゃないだろうな」 「あら、二足のわらじっていうのもいいかと思うのよ」 「いいわけあるか」 「俺はさ、今回はシェリルに譲ったけど、あれは芝居だからだよ」 ウーロン茶を飲みながらミシェルがふと言った。 周囲のテーブルはさながら宴会のようで、誰もまともに人の話を聞いていない。 ちゃんと与えられたテーブルについて飲み食いしているのはふたりだけだった。 さきほどまで一緒におとなしく食事をしていたルカもいない。 「どういう意味だよ」 ああこの北京ダックうまいな、と手づかみで口の中に放り込みながらアルトが隣りを見る。 「いや、別に。ああそれより確かにおまえのウェディングドレス似合ってたなあ」 「うっせぇなあ」 もう忘れろ、と頬を赤らめて北京ダックを飲み下す。 おまえの騎士の姿も、それなりにいけてたぜ、と言おうとして、結局何も言えずに悪態をついた。 +++++++++++++++++++++++++++++++++ 青の騎士は、カナリアやクランたちと一緒に移動しながら、夕日に照らされオレンジ色に染まる王宮を仰ぎ見た。 浮かれた城下町を出るとあとは延々馬を走らせ、やがて隣国へ向かうのみだ。 「いいのか、ミシェル」 頭上からクランの声が降り注ぐ。 おの声音にわずかに案じるような色が混じっていて、ミシェルは苦笑した。 「彼女に冒険は似合わない。愛され、守られて誰よりも幸せに生きるべきだ。俺はそう思うよ」 ただ純粋で綺麗なままでいてほしい。 生まれや身分は関係ないとは言っても、やはり自分のような戦いに身を置く人間とははじめから違うのだと彼は思った。 「さようならアルト姫。けれどいつか、この国が戦火に巻き込まれるようなことがあれば、俺はいつでもあなたを攫いに行きますよ」 どさくさにまぎれて、どこまでも遠くへふたりで逃げよう。 それまでは、どうか平和に。 「さて、ではギャラクシーの動向を伺いに国境を越えますか」 END
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「ふっ、フザケールナー!!」
がっしゃーん、と小道具を詰め込んだ段ボール箱を盛大にぶちまけながらアルトは怒鳴った。 悲痛な叫びである。今にも血を吐きそうだ。 ドレスを脱ぎ散らかしてTシャツとパンツというみっともない格好を晒しながら暴れるアルトをミシェルは避難するように少し離れた場所からそっと見ていた。 「あー。怒ってる怒ってる」 「あったりまえじゃない!あの決闘をガチでやるっていうから練習してきたのに何よこのオチ」 ミシェルとシェリルは、アルトには内緒で口裏を合わせていた。 それが<決闘で勝ったほうがハッピーエンドを迎える>という、マルチエンドである。 ミシェルが勝った場合とシェリルが勝った場合の2パターンをあらかじめ用意しておいたのだが、もちろんこのことはふたりと脚本を書いたキャシー、そして半ば強引に泣き落としたカナリアしか知らない。荒業もいいところである。 「ルカのあのぼやきは本音が入ってたな」 「いやあれ本音でしょ。アドリブっていうか完全に思ってることを言っちゃった感じ」 それより、と衣装を着たまま小道具の剣をつきつけながらシェリルは詰め寄った。 「あなた何してるの?何勝手にキスなんてしてるのよバカ!」 聞いてないわ、と甲高い声を上げる。 そのあまりの迫力に思わず後ずさるミシェルだったが、何とか踏みとどまりながら眼鏡のフレームをわざとらしく押し上げた。 「いや、俺としてはちゃんとお芝居としての王道パターンを守りつつ、ついでに自分もおいしいところが欲しいなあと思ってだね」 「思ってだね、じゃないわよ!確かにあんたが姫と最終的に結ばれちゃったらフロンティア中から非難轟々なのは分かってるけど!だからってキスしなくたっていいじゃない!あたしだってしてないのに!」 それが本音かい、と苦笑しながら、まだ暴れているアルトを見る。 見かねたルカやランカが止めに入ろうとしているようだが、しばらく手がつけられないだろう。 カナリアのげんこつでも振り下ろされない限り彼の暴走は収まりそうにない。 「でも君がアルト姫の頬にキスをするシーンで使うはずだった衣装、結局直しが間に合わなくてぎりぎりまで使えるか使えないか分からなかっただろう?あの虫、じゃないあいクンだっけ、あいつもやるよなあ。アハハハハ」 責任転嫁で逃れようとしてみたが、無駄だった。 突き出されたつくりものの剣の先っちょでつんつく突付かれる。 「いたっ。ちょ、いたたたたたっ。痛いって女王様!」 「うるさいわね!勝手なことばっかり・・・!」 「いいじゃないか、ラストは感動的なハッピーエンドだっただろ!」 「よくないわよばかー!!」 ひときわ大声で叫ぶと、シェリルはとどめ、とばかりに剣を突き出し、とっさに顔をかばったミシェルは腹を遠慮なく刺されて、そのまま体を二つ折りにしたまま床に転がって動かなくなった。 おおおおおお男にキスをされた、しかも大勢の見ている前で! 赤くなったり青くなったり、しまいには土気色に染まる顔を必死でてのひらでこすりながら、アルトは涙をこらえた。 これでは公開処刑、否、羞恥プレイではないか! 右腕をルカに、左腕をランカにつかまれてようやくアルトは我を取り戻した。 「と、とりあえずズボンはいてください先輩!みんな見てます!」 「るっせえ!あのメガネ野郎に人前でキスされたんだぞ!それに比べたらここでスッポンポンになったほうがまだましだ!」 「ダメですダメです!それはいくらなんてもダメですってば!」 すっぽんぽん、という言葉の響きにランカは頬を赤くしてうつむいた。 「ランカさん、何想像してるんですか」 「し、してないよ!」 思わず冷静に突っ込んだルカに慌てて首を激しく振ると、ランカは肩で息をしているアルトを見上げた。 「あの、ごめんねアルトくん。あい君がシェリルさんの大事な衣装破いちゃったせいでシーンが変わったんだよね!」 「・・・・・・・・・いや違うと思うぞ」 結局シェリルの衣装替えがあろうとなかろうと、ミシェルは好き勝手にやったに違いないのだ。 「あの変態眼鏡野郎・・・」 ぎりぎりと拳を握り締めるアルトを心配そうに見ながら、しかしランカは必死で彼の機嫌をとろうと笑顔を振りまいた。 「でもでも、ラストシーン良かったよ!まるでおとぎ話のエンディングみたい」 「実際おとぎ話のエンディングだったんですけどね」 ぼそりと呟くルカの声は、だがランカには聞こえなかったようだ。 「いいなあウエディングドレス・・・」 女の子の憧れだよね、と言ってから、しまったと顔を上げると、アルトはひどく複雑かつ微妙な表情で、遠い目をしていた。 「結婚前にウエディングドレス着たら婚期が遅れるって言いますけど、アルト先輩は心配ないですよね!」 「・・・・・・・・・・・・そうですね」 ルカのフォローは空回りするばかりであった。 |
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待て、と勢いで青の騎士の腕を掴んだシェリルは、次の瞬間奇妙な感触に体が覆われていることに気づいて小さく悲鳴を漏らした。 まるで体が霧へと姿を変えたかのような、溶けてこのまま空気と混ざり合い消えてしまいそうな感覚。 ぞっと吐き気がして思わず空いた方の手で口を覆う。だがそれも一瞬のことだった。 ぎゅっとつむっていた目を再び開くと、そこには見覚えのない暗い場所で、頼りない光がぼんやりと辺りを照らしていた。 目の前に現れたドレスの裾に気づき、知らぬ間に床に両手をついてしゃがみこんでいたシェリルはゆっくりと顔を上げる。 「・・・アルト姫」 「王子!」 手を延ばしても届かないところにした姫にようやく生身で再会したのだった。 立ち上がり、その細い体を抱きしめようとして、ふいにすぐ近くで気配を感じて振り返る。 そうだ、どうしてこの存在を忘れる事ができようか。 「感動の再会はいかがですか、王子さま」 相変わらず人を皮肉ったような笑みでミシェルが言った。 「招待もしていないのに勝手についてくるなんて、少々行儀が悪いですね。あなた王家の人間でしょうに」 「きさまに言われる筋合いはない!」 アルト姫をかばうように手をのばした。 「勝負はついた。姫は返してもらおう」 条件を提示したのもそちらのはず、と険しく睨めば、ミシェルはまるでさきほどの決闘などなかったかのような爽やかな笑みを浮かべながら、前髪を払った。 「『俺がこの床に膝をつけば、晴れてシェリル王子はフロンティアの次代女王陛下の婿に。あなたが剣を落とせば、アルト姫は私の花嫁に』ええそのとおりです。でもその前に」 シェリル王子の背に隠れたアルト姫をちらりと見て視線を配ると、いつの間にか姫の背後に出現した穴から女がひとり現れた。 ぎょっとして姫とシェリル王子が振り向き、シェリルははっと目を見開いた。 「おまえは、カナリア」 いつの間に、と尋ねる暇もなく、カナリアがアルト姫の細い腕をひっぱった。 「あ」 「姫!」 慌てて差し出すシェリルの手は見事に空振り、アルト姫の体がミシェルの腕に納まる。 「勝利者には姫の唇を奪う権利を」 「ふざけるな!勝利したのは私ではないか!」 「決闘の勝利者だなんて言ってませんよ。ほら、最後に姫をその手にした者こそが勝利者だと思いませんか?名誉や誇りなどというものはあなたに差し上げますが、ひとりの女性の存在はなにものにも変えがたい」 「ああもう、めちゃくちゃだ!」 「本当に」 ぼそりと呟いたのはカナリアの後ろから現れたルカだったが、もはや誰の耳にも届いていないようだった。 「もう決して、俺はあなたの前には現れないでしょう。ですからどうか、昔に交わした約束を今、ここで果たしてください」 「・・・え?」 きょとんとする姫の頤をそっとすくって、青の騎士が目を細める。邪魔な透明のガラスを投げ捨てて、ミシェルは何故か甘い味のする姫の唇に自分のそれを重ねた。 ++++++++++++++++++++++++++++++++ 見るからに自分とは違う世界の人間なのだと少年は思った。 一瞬怒りにも似た感情が胸を熱くしたが、それ以上に目の前の可憐な少女は美しかった。 「返して」 それ、と白い手を差し出す少女に、ミシェルは動けずに呆然と立ち尽くした。 このリボンはおそらく、相当値打ちのあるものだろう。 売ればいくらになるだろう、と考える。 そしてこれを奪って逃げることは簡単だ。少女の体つきや着ているドレスから判断して彼女が追いかけてくることはないだろう。仮に追いかけてきても逃げ切れないはずがない。少女は走ったことすらないのではないだろうか。 「お願い、返して」 目に涙をためながら少女が繰り返す。近づいてこようとしないのは、警戒しているからだろうか。 (それとも、こんな薄汚れた下賎の人間には近づきたくもないって?) この綺麗なものがほしい、と思う反面、ひどくもやもやと暗い思いがかけめぐる。 自分にはないもの。決して手に入らないものが目の前に立っている。 「・・・じゃあ」 返すから、とミシェルはリボンを差し出しながら、 「キスをして」 意地悪を言ってみた。 「・・・え?」 「君は貴族だろう?尊い人はお礼をするときは相手にキスをするんだって、聞いた」 嘘である。 ただ、偶然見かけた書物の絵に、それは豪華なドレスを身にまとったあでやかな女の手の甲に、男がひざまづいて口づけるさまが載っていただけだ。 「でも、お父様に叱られる」 「内緒にしておけばいいだろう?それともこのリボン、返して欲しくないの」 「・・・返して。それはお母様の形見なの」 「じゃあキスを」 リボンを持つ手をさらに差し伸べる。 その手の甲に口づけてみせろ、という意味だったのだが、少女のとった行動は予想外だった。 彼女は一瞬ためらってその手をやわらかな両手で包み込むと、正面から目を見て言った。 「いずれお礼はします。だから返してください」 自分はこのフロンティア王国第18代国王トクガワの娘、アルトである。必ずお礼はするからリボンを返して欲しい。 そう名乗る姫君に、ミシェルは唖然としたままリボンを取り返され、そしてその後放心したように身動きできずにいる彼をクランが迎えに来たときにはすでに日が暮れて、白亜の王宮がオレンジ色に染まっていたのだった。 |
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かしゃん、と音をたてて床に落ちたのは、真っ二つに割れたブローチだった。 吸い込まれるような深い漆黒のそれは、わずかに青みがかっていて光を反射する。 蓋が開いたその中には色あせた小さな写真がはめ込まれていたが、シェリルにはそれが誰なのか分からなかった。 数秒にも満たない逡巡の後、飛びのいた靴音に顔を上げると、青の騎士は苦笑いを浮かべてゆっくりと剣を放り投げて両手を挙げた。 「参りました。さすがはフロンティアの次期国王候補殿」 「な・・・」 まったく心のこもらない賛辞を受けて、シェリルはかっと激昂する。 つきつけた刃をそのままに、王子は顔を赤くして怒鳴った。 「ふざけるな。まだ勝負はついていない」 「いやあ、でもあなたは俺の剣を振り払ったわけですし。一瞬飛びのくのが遅かったら心臓をやられていましたよ。まだ死にたくはないですからね」 「まだだ!おまえの膝を床へつかせれば私の勝ち。私が剣を落とせばおまえの勝ち。そう言ったはずだ」 「命の次くらいに大事なものを床へ落としてしまいましたからねえ。それにほら」 と、目で壁をちらりと見やる。 つられてシェリルが視線を動かすと、映し出された映像の中で、アルト姫は小さく震えながら目に涙を浮かべていた。 「お姫さまには少々刺激が強すぎたようです。俺は姫を泣かせたいわけではないんですよ」 よく言う、と舌打ちして、シェリルは剣を鞘におさめた。 消化不良もいいところだ。この男はいったい何がしたいのか。 「ではアルト姫は返してもらおう」 「どうぞご勝手に。この壁を壊したらいかがです?」 「きさま・・・」 にやにやと笑う青の騎士に殺意を覚えて一歩踏み込んだが、ミシェルは意に介さず壁の方へと向かった。 何を、と目を見張るシェリルの前で、青の騎士はとん、と手のひらを壁にあてて握りこむように指を曲げる。 一拍の後、壁につけた握りこぶしのあたりから紫色の光が漏れ出した。 「なんだ・・・?」 光はやがて人の背の高さほどに大きくなり、中心へと向かうにつれて黒く変色していく。 ぽっかりと大きな穴が開いたように見えてシェリルは息を呑んだ。この男はやはり魔法が使えたのだろうか。 壁の向こう側で、ぼんやりした映像に映る姫は不安そうに胸の前で手を組んでいる。 「ここではない場所。ここからは遠い場所。誰もたどりつけない。しかし森にいる仲間はすぐ近くにいる。俺が言ったことを覚えていますか、姫?」 戦場は『こことはほんの少し離れた場所』である、と青の騎士は言った。 だからアルトは、自分がとらわれているのはガリアの森とは離れた場所であると思っていた。 だからこそこうして、森の塔と映像を繋いでいるのではないか。 ミシェルはゆっくりと拳を開いて見せた。その手の中にあったのは紫色の水晶だ。 「それは・・・。あの、魔法の石ですね?離れた場所と通信ができる、この映像の元となるもの。それがなぜこんな」 思わず手を伸ばしかけた腕をぎゅっと引き戻して姫が口を開く。 ミシェルは作り物のような笑みを浮かべた。 「これはフォールドクォーツ。次元を超えることを可能とする技術のひとつです。魔法、というにはいささか使い勝手にまだ問題がありますが。簡単に言えばこちらとあちらとの空間を入れ替えることができる」 「まさか、それでは」 はっとして、アルトとシェリルは同時に何かを言いかけて、飲み込んだ。 それを引き継ぐようにミシェルはうなずく。 「今俺とシェリル王子がいる場所と、アルト姫がいる場所。壁を超えて、われわれは今別の時空にいるのです。それが俺たち【ゼントラン】のネストのひとつでもある」 当たり前のようにそう言って、ミシェルは出現した穴に腕を差し込んだ。 「不思議でしょう?」 次元断層。 それが、いまのシェリル王子とアルト姫との間に立ちはだかる壁だった。 ++++++++++++++++++++++++++++++ ロッカーの中から物音がする、と言い出したのは、エキストラのひとりだった。 「しかもシェリルさんのロッカーなんですよう」 だから不用意に中を開けて確かめるなんてことはできなかったのだ、と彼女は半泣きになりながら訴える。 「いいわ、私見てくる」 「わ、私も行きます!」 「じゃあ私も・・・」 きっと顔を鋭くしたシェリルに、ランカとナナセも続いた。 「大丈夫かね女王様たちは・・・」 「うーん。とりあえずロッカー室の前で待機しておこうぜ」 まさか、泥棒や変質者の類ではないだろうな、とミシェルとアルトは緊張した。 こんなとき、まっさきに突入するべきなのだろうが、シェリルが行くといったら彼女は絶対に行くのだ。 そしてそれに続こうとすれば「この変態!」と殴られるのは必至である。 掃除道具入れから取り出したホウキやらちりとりやらを手にしてロッカー室へ入っていく三人を見送りながら、ふたりは微妙な表情を浮かべて、いつでも飛び出せるように構えた。 「もしかして、シェリルの衣装を破いたヤツかな」 「かもな」 でもなあ。 呟くミシェルは、だがそこで言葉を止めてしまった。 「緊張感ないよな」 なんだかなあ、と嘆息した。 そろそろ稽古も佳境に入るというのに、一向にラストシーンの決定稿が上がってこない。 不安極まりないふたりである。 |
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大きな鳥がはばたくような音がしてシェリルが振り返ると、何事もなかったかのように涼しい顔をしたミシェルがにやりと笑ってそこに立っていた。 慌てて剣を抜くが、それよりもどうやってここまで来たのか、ついさきほどまでアルト姫の近くにいたのではないのかと思考を巡らせる。 察したように、ミシェルは悠々と柱に寄り掛かって腕を組んだ。 「王子様のお相手は悪魔の方が物語として盛り上がるでしょう?黒い翼のある魔族の騎士、なんてどうでしょう」 「ふざけるな」 絞り出すようにうめいて、シェリルは外を見降ろしたい衝動に駆られたが、踏みとどまった。 「おまえは魔法が使えるのか」 「科学と呼んでほしいですね。似たようなものですが、どちらも万能ではない」 しゃり、と涼やかな音をたてて青の騎士は剣を抜いた。 壁に映し出されたアルト姫の青白い顔をうかがって、優しく微笑む。 「このどうしようもなく馬鹿馬鹿しい喜劇を終わらせたら、あなたにお話しましょう。かつて我々がどこで出会ったか。あなたはお忘れでしょうが、俺は今でも鮮明に思い出すことができる、あのときの幸運を」 「馬鹿馬鹿しいだと?神聖な決闘を侮辱するか!」 始まりの合図もない、ここには審判などいないのだ。 剣を抜く動作そのものが笛の役割を果たしているのだから。 シェリルは、とん、と羽ばたくように軽く床を蹴って剣を突き出した。 軽薄な男の軽口など一掃してしまえばいい。様子見のつもりで、だが加減などするはずもなく騎士の胸元を狙ったが、余裕で振り払われてすかさずあとずさった。びぃん、と刃が鳴る。 シェリルの持つ剣は過剰な装飾もつけられておらず、どう見ても一般に武器屋で売られているような代物だった。だが代々続く王家の宝には魔力が宿っているという。 第一継承者には王冠を。第二継承者には剣を。 どちらも黄金で作られたわけでも宝玉が埋め込まれているわけでもない。 (真に必要なものはそんなものではないのだから) 一方、ミシェルの使う剣は細くしなやかで、剣術試合などで用いられるものに、刃を改良したものだった。 こちらも、決闘と言うにはあまりにも緊迫感がない。 滑稽だな、とミシェルはシェリルやアルト姫に悟られないようこっそりと笑みを浮かべた。 滑稽なのは、決して「馬鹿馬鹿しい喜劇」ではなく、誰にも悟られぬことを得意とする自分の心が、いつの間にか自身にも見え辛くなっていることだ。 国のためだとか。仲間のためだとか。 何を偉そうに。 激しい動きでずれそうになる眼鏡をそっと押し上げて、真正面から睨み返してくるシェリル王子の瞳を見つめた。 自分が余裕のある嫌な笑みを浮かべている自覚はある。 だがシェリルもアルト姫も気づかないだろう。 分厚く着込んだ服の下は熱を持ち、汗を流していることなど。 (男ってのはさ、姫) ちらりと、柔らかな映像の向こうで青ざめた顔でこちらを見守るアルト姫を見た。 そんな顔を見たいわけではないのに。 「意地を張るのが性分ですよねえ?」 「何をごちゃごちゃ言っている!」 ぶん、とその細い腕に似合わない勢いで持ち上げられた剣が頭上すれすれのところを襲った。 素早く身をかがめて地面を蹴り、次の攻撃が間に合わないだろうことを予測して柄を握る。 「これで、終わりだ」 「シェリル王子!」 ミシェルがにやりと笑うのと、アルト姫が叫ぶのは同時だった。 「恨みっこなしだぜ、王子さま」 +++++++++++++++++++++++++++++++ ふわりと空を飛ぶ頼りないリボンを目で追いながら、少年は眩しげに目を細めた。 高くそびえる王宮、足取り軽く行き交う人々。一糸乱れぬ行進でメインストリートを抜けて行く兵士たち。風に揺れる、フロンティアの旗。 何もかもが美しく、また幸せそうだった。 その片隅でうごめく暗雲など微塵も気づかない城下町の人々は笑顔で王と政治と軍を讃える。 平和で良い国だと。それが永遠に続くと信じて。 「嘘ばっかりだ」 ひょい、と背を延ばして落ちてきたリボンを掴んだ。 薄くも丈夫な布なのだろう、織目細かく色は深い赤で、上品だった。派手ではないが地味でもない。 安物ではないだろう、と勝手に見当をつけて握りしめる。どこから飛んできたのか。 「待って、」 か細い、今にも泣きそうな声がして振り返る。 少年は唖然として、間の抜けた顔で立ち尽くした。 「お姫さま?」 物語で伝え聞くだけのそれをつい口にしてしまったのは、その声の主の正体を知っていたわけではなくただ想像する「お姫さま」が姿かたちを伴って現れたからだと、少年は後になって幼馴染に笑ったのだった。 |
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