「・・・早乙女准尉、入ります」
ひとこえかけて扉の前にたつと、自動で開いて広くもない部屋があらわれた。
アルトは抱えていたファイルを差し出そうとして立ち止まる。
デスクの向こう側で安っぽい椅子に座り腕を組んでいるオズマは、目を閉じたまま一向に口を開こうとしない。眉間にはしわが寄っていて機嫌は悪そうだった。
俺なにかしたかな、と考えを巡らせるが思い当たる節はなく、首を傾げて反応を待つ。
「あのー。隊長?」
言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに、とむっとしながらそろそろと近づいて行った。
様子がおかしい。
オズマの性格上、なにか問題があれば怒鳴ってげんこつを食らわせておしまい、というパターンが普通である。この上司に何度どつかれたか、回数も覚えていないほどだ。
やたら自分にばかり厳しい、と初めは拗ねたこともあったが、これもひとつの愛情表現に近いものだと理解したのは最近だ。どうでもいい部下ならいちいち口だししてこないだろう。それになにかと騒ぎを起こす自分のトラブル体質にも一応自覚はある。好きで起こしているわけではないが。
デスクに両手をついて、顔を近づけてみると小さないびきが聞こえた。
「・・・・まじかよ」
人を呼びつけておいて昼寝してやがる。
ちっと舌打ちして、ファイルを乱暴にデスクに置いたがオズマは起きなかった。そうとう深く寝入っているらしい。どうせまた、一晩中ランカと喧嘩でもしていたのだろう。御苦労なことだ。家でも仕事でも、心休まる時がないらしい。
その原因のひとつでもあるアルトは自分のことは棚に上げて同情した。
このまま戻ってもいいか、と思っていたところに、デスクの上に置かれたペン立てが目に入る。何に使うのか知らないが、古ぼけたボールペンや太いマジック、古代の遺産かと思うほどレトロな定規などが乱雑に突き刺さっている。
アルトは、ふいに思いついてマジックを手に取った。
まったく起きる気配のないオズマを見てにやりと笑う。
「呼び出ししておいて寝てる隊長が悪いんだぜー」
きゅぽっ、とふたをとると、小刻みに震える手でそっとオズマの顔へインクを近づけた。
むずむずと顔がかゆくて、オズマは目を開けた。
「あ、しまった」
考え事をしているうちに寝てしまったらしい。
凝り固まった肩をまわそうと、組んでいた腕を解いたところで人の気配に気づいた。慌てて顔をあげると、部屋の隅のソファで暇そうに本を読んでいる少女・・のような男がひとり。こちらに気付いてむっとしたような顔をする。部下にあるまじき行為だが、そういえば呼び出しをしていたのは自分だったかとオズマは気まずそうに頭をかいた。
時計を見ると約束の時間を一時間近く過ぎている。
「すまんアルト。起こしてくれて良かったんだが」
アルトは立ち上がり、不機嫌そうにしていた顔を歪ませた。びくっとしてオズマは椅子に腰かけたままあとずさる。
まさかそんなわけはないだろうに、なぜか泣き出しそうだと思った。
だがアルトは頬の筋肉を器用に操作して無表情をつくると、デスクに放り出されたファイルを指でつつく。
「何度も声かけたけど起きなかった。ファイルはこれ。チェックは?」
押さえた低い声で淡々と尋ねる。
「ああ、すまんな。チェックは後でやっておく。詫びと言ってはなんだが、飯ぐらいおごろう」
「・・・・。いや、いい。この本借りてもいいか?」
ソファに置かれた本を取り上げて、ろくに興味もなさそうに言った。
「いいが・・・。おまえそんなの読むのか?」
確か以前キャシーにおしつけられて返しそびれたままになっているものだ。
『銀河の愛は一畳半』。
タイトルからして全く意味の通じない小説本で、恋愛ものらしいがもちろんオズマは読んでいない。
何で銀河の愛が一畳半なのか、矛盾しているじゃないかと思うのだがキャシーいわく「最高傑作」らしい。女の好みは分らない。
「これでチャラにしておきますよ、隊長」
にやっと笑って、アルトはやる気のない敬礼をするとそそくさと部屋を出て行ってしまった。声をかける暇もなく、オズマはむっつりと黙りこんでさきほどまでアルトが座っていたソファを見つめる。
顔がかゆい。
オズマの部屋を出て扉が閉まった瞬間、アルトはぶはっと吹き出した。
危ないところだった。とっさに表情を取り繕えたのは幼いころからの役者としてのしつけのたまものか。このときばかりはあのクソ親父に感謝してもいいだろう。
借りた『銀河の愛は一畳半』を手に持って、廊下を疾走した。すぐに気づかれるだろうから、逃げなければならない。まずはこの本を食堂のテーブルに置いて注目を集めよう。これの持ち主がオズマだと知れ渡れば笑いものになるだろうし、元カノが発見すればそれはそれでおもしろい。
問題はそのあとだ。外へ逃げてもどうせ夜には戻らなければならないし、帰ってきたところを捕まる可能性の方が高い。それならばこのSMSの建物内に隠れて、周囲を巻き込むのがいいだろう。
マジックは油性だった。完全には落ちないそれを顔にはりつけたままオズマはSMS中を走り回ることになる。そうだ、ミハエルとルカを味方につけておかなければ。ルカはともかくミハエルを敵に回すと厄介だ。
アルトはポケットから携帯を取り出すと、すぐにミハエルにコールを送った。
『姫?どうした?』
「おまえ今どこだ?ルカは?」
『一緒にトレーニングルームにいるけど』
「わかった、いいか、隊長に俺のこと聞かれたら外出したって言えよ。絶対だぞ」
『・・・何かやらかしたのかおまえ』
「そのうちわかるさ。絶対裏切るなよな!」
『はいはい』
呆れたような声でミハエルが笑う。
通話を切って、まずは食堂へ足を踏み入れた。まだ夕食には早いためか人はまばらで、カウンタの向こうでは調理担当の職員がせわしなく動いている。
アルトはなるべく愛想のよさげな顔を作ると、一番手前にいた女性に声をかけた。
「すみません」
「今忙しいんだから!・・・あら」
アルトの顔を見て瞬時に女性の顔が赤らんだ。もう五十は超えているだろう、恰幅のいい年配の女性だったが、美形好きに年齢の種族も関係ない。
「どうかしたの」
「あの、俺これからちょっと出かけなきゃいけないんですけど、簡単なものでいいんで何か適当にテイクアウトできるようなものってありますか」
「いいわよ。今おかず詰めてあげるから、ちょっと待っててね」
「お願いします」
女性はにっこりと笑うと、手早く今作ったばかりのおかずとご飯をタッパーに入れて丁寧に布で包んでくれた。まるで遠足に行く子供へ差し出す弁当そのものである。
「はいこれ。戻ってきたら返してね。洗わなくていいから」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、ついでとばかりに笑みを浮かべると、女性は破顔した。なるほどこの手は使える。はじめて自分の顔の利便性に気づくアルトであった。
それにしてもアルトには悪いことをした、とオズマはむずがゆい顔をしきりにさすりながら廊下を歩いていた。
そろそろ夕食時なので、おそらくミハエルたちと食堂にいるだろう。あのじゃじゃ馬の手綱をひくのはそうとう面倒だが、面倒事の大半はミハエルが担ってくれているので助かっている。ルカもまとめて、三人分デザートにアイスでもおごってやろう。
思えば、自分も若い頃はよく暴走していた。艦長にも言われたが、アルトの言動にいちいちイライラするのは、過去の自分を投影しているからかもしれない。
「あ、オズマ。さっき・・・」
途中でキャシー・グラスとすれ違った。
手には重そうなファイルが二冊と、なぜか彼女が愛用している『万年筆兼筆ペン』を持っていた。どちらもオズマは使用した経験がない。むしろ『鉛筆兼消しゴム』の方が使い勝手はいいのではないだろうか。
彼女がこのSMSへ一時的にとは言え派遣されて以来どうも調子が狂っている。過去に付き合っていた引け目か、それとも現在彼女が付き合っている男が気になるのか、もちろん詮索したことはないしする気もないが。
「・・・・・」
何か言いかけて立ち止まったキャシーは、じっとオズマの顔を眺めている。思い切り素の表情で、思わずどきっとした。
「なんだ、俺の顔に何かついてるか」
「いえ・・・ついてるっていうか」
もにょもにょと小さな声で呟いたかと思うと、キャシーは横をむいてぷっと笑った。
「まあいいわ」
「なんだよ。それよりさっき、て何だ。何か言いかけただろう」
「あー。いいの」
キャシーはにやりと笑うと、何故か心もち愉快そうに鼻歌など歌いながらそのまま行ってしまった。
いったい何だというのか。
足早に彼のオズマの前から去ったキャシーは、持っていたファイルで口元を隠しながら肩を震わせて笑った。
さっき、アルトが珍しくご機嫌な様子で走って行ったのを見かけた、と言おうとしたのだが、何が起こったかを瞬時に理解してしまったのだ。
ことあるごとに「小皺が増えた」だの「相変わらず小言がうるさい」だのおもしろくないことをいう意地悪な元彼に、ささやかな復讐はキャシーとて望むところだ。
キャシーは何も知らないふりをすることに決めて、心の中で腹を抱えて大爆笑した。腹筋を運動させすぎてお腹がすいてしまった。今日はテイクアウトを頼んで部屋でゆっくり食べよう。
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