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眠い、眠い、死ぬほど眠い。 ふらふらと歩きながら、アルトはうっすらと遠くなりそうな意識を必死で引き戻しながらあくびを繰り返していた。 訓練を終え、シャワーを浴びたところまでは良かったが、汗を流してさっぱりすると今度は上昇した体温が心地よく、意地悪な睡魔がこれでもかというように誘惑してきた。髪を結ぶのも面倒になり、途中で諦めたそれは緩く引っかかったままさらさらと肩から背中へと流れている。かろうじて紐は落ちないように気をつけたが、まるで役には立っていなかった。 足取りも重く、もういっそこのまま倒れこんで眠ってしまおうかとさえ考える。 億劫そうに顔を上げると、割り当てられている自室よりも待機室の方がここから近いことに気づき、ずるずると壁に手をついたままそちらへと向かうことにした。就寝時間まではまだあるので誰かがいるだろうが、一度眠ってしまえば人の話し声など気にならない。 なんとか辿り着いて中をのぞくと、カウンタにはいつものようにボビーが立っており、その前に座っているミハエルがいち早くこちらへ気づいて軽く手を挙げた。適当によろよろと手を振って、部屋の隅に置かれた古臭いソファへと歩み寄る。 途中、大画面モニタに映る愛しい妹の歌う姿を食い入るように見つめている我らが隊長の姿もあったが、気づかないようなので放っておく。ルカはいないようだ。他にちらほらと数人、やはり暇そうにだらだらしている。 今は準非常態勢ではなかったのか。バジュラの脅威はどうした。だがそんな疑問も睡魔の前では面倒な数式のようにこんがらがって、やがては消え失せて行った。もうどうでもいいから寝かせてくれ。 どさっと行儀悪く座り込み、もこもこして邪魔なフライトジャケットを脱ぎ捨てると、アルトはそのまま横倒しになった。糸の綻びかけたぺしゃんこのクッションを枕にぐいと頬をおしつけて目を閉じる。 ふわふわとした浮遊感に全身包まれたような気持ちのいい感覚に襲われたかと思うとあっというまに意識は飛んでいった。 あーあ、またやってる。 一部始終をずっと目で追っていたミハエルは、撃沈してしまったお姫さまを遠目に見やってくすりと笑った。 ロッカールームやシャワールームでうっかり倒れられるよりはずっとましと言うものだ。散々叱りつけた効果だろうか、とも思ったが、あの高慢チキなアルト姫がそんな殊勝なはずもない。どうせ、硬いベンチや椅子だと目が覚めたとき背中が痛かったとか、そんなところだろう。 確かにトレーニングルームからは自室よりもここか娯楽室の方が幾分近く、娯楽室よりもここの方が遥かに静かだ。バカ騒ぎしたい奴はあっちへ、大人しくテレビを見たりゆっくり酒を飲みたい奴はこっちへ。人の流れは分散し、それぞれの空気ができあがる。 そしてここには古いがそれなりに柔らかいソファがあった。だがわざわざテレビモニタの見えにくいそのソファに座ってくつろぐ者などめったにおらず、いつの間にか睡魔に負けたアルト姫の居眠り専用と化している。そのうち『眠り姫専用』とでも張り紙がされるに違いない。 こうして目の届く場所にいるうちは、ミハエルもうるさくは言わなかった。 見ないふりをしていても、悪い虫がうっかり手を出そうとしないかきちんと監視していられるからだ。そしてそのことは隊員のみなが知っている。 ふたりの関係がどうとまではバレていないだろう。ただ、新入りのお姫さまとやたら彼の世話を焼きたがる相棒。周囲から見た自分たちの関係性はそれでいいと思っている。 歌番組がエンディングへと流れ、ランカがおじぎをしながら手を振ったところでカメラはCMへと切り替わり、身じろぎひとつせずその画面を見つめていたオズマはやっとほっとした表情で背伸びをした。 ついでにモニタの斜め下あたりに目をやって、ようやく自分の部下の存在に気づく。 「おいまた寝てるのか」 わざわざこんなうるさいところでよく寝ていられるな、と感心したように顎をさすって、立ち上がる。 起こそうかとソファへ近づいていくと、ふだん口ばかりは達者でちっとも可愛げのない部下は気持ち良さそうに熟睡していた。たまにぴくぴくとまぶたが痙攣したり、薄く開かれた唇からはふがふがと寝言のような意味不明な音が聞こえる。むにゃむにゃならまだしもふがふがって。これで顔が良くなければイラッとした挙句ゲンコツのひとつでもくれてやるところだったが、おそらくそんなことをすればこの場にいる全員から冷たい視線を浴びることだろう。 背中に強い視線を感じたが、オズマは振り返ることをしなかった。分かっている。どうせ振り向いたところで視線の主は何事もなかったかのようににこりと愛想笑いを返してくるだろう。眼鏡の奥の緑の瞳を光らせながら。 ぞくっと悪寒がするのを考えないようにしながら、どこから引っ張ってきたのか分からない薄い毛布からはみ出ている骨ばった肩を軽く揺すった。 「おい」 「んー」 不満そうなうめき声を上げながら、もそもそとアルトが腕を動かす。体の下に挟まっていた手が痺れでもしたか。 「そろそろ部屋に戻れ。子供じゃあるまいし」 いやまだ中身は子供だが、と心の中で自分に突っ込みを入れながら毛布を引っぺがす。 ふわりと舞うそれをぞんざいに放り投げると、あ、とどこからか声がした。 静電気のせいか、毛布に引きずられるようにして青い髪がさらりと宙に流れ、やがて持ち主の元へとかえっていく。まるでスローモーションのようにその映像がまぶたの裏にはりついて、オズマは目をみはった。 おいおい何だこれは。勘弁してほしい。まさかこんな子供に、しかも男に見惚れるなんておそろしいことがあってたまるか。 「いやいやいや。ないない。それはない」 「何がですか」 「うわぁ!?」 寝汚く体を丸めたままのアルトを眺めているとふいに後ろからやけに優しい声が聞こえて振り返る。しまった、無視すれば良かった。 「せっかく気を利かせた中尉殿がわざわざ自分の部屋から毛布を持ってきて、思い切ってかけてあげたのに」 そう言ってミハエルがちらりと目をやる先に、中腰の姿勢で慌てて目をそらす男がひとり。さきほど聞こえた声はこいつのか。 それにしても眠りこけたアルトのためにわざわざ部屋まで行って毛布を持ってくるという、その胸中が知りたい。 自分なら・・・そんな手間などかけず、自分が着ているジャケットをかけてやるだろう。その方が早い。 「ん?」 待て、今何を考えた? 今度こそぞくりと背筋が寒くなって、オズマはミハエルの視線にも気づかず両手で腕をこすった。風邪でも引いただろうか。 「ほら姫。そろそろ起きないと」 さりげなく、ミハエルがオズマの体をおしのけてしゃがみこみ、優しく声をかけた。 こんな喋り方をする奴だったか。もっと理知的で、人との距離感を何よりも大事にする優秀なスナイパーだったはず。信頼できる部下の性格を今さらながらに疑うオズマである。 「んー。眠い」 「だから部屋に帰ろう。ほら肩」 目をこすりながらぐちぐちと文句を言うアルトの白く頼りないように見える腕を自分の肩にまわし、腰に手をまわして立ち上がらせる。ミハエルの挙動をまじまじと見つめてしまう。大事な宝物を扱うように触れる場所から目が離せない。 自分だったら。 (自分だったら?) 何故自分と比較するのか。一発頭をぶん殴って怒鳴って、終わりではないのか? もたれあいながらゆっくりした歩調に合わせ、ふたりは待機室を出て行った。 一瞬ミハエルがこちらを見てにやりと笑ったような気がしたが、おそらく目の錯覚だろう。 ミハエルは自分に対してそんな笑い方をするやつではないのだから。 アルトに触れるミハエルの手に激しく動揺したのは、女に対するように扱うことへの苛立ちに過ぎない。 ただそれだけだ。 「だよな」 うん、とひとり無理やり納得して、オズマは床に放り出されたままの毛布をわざと踏みつけながらボビーの立つカウンタへと歩み寄った。 そうだ、と、忘れられているアルトのジャケットを手にとって埃を払う。 足跡のついた毛布を拾う持ち主の愚痴など、全く聞こえなかった。 PR |
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