× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
何でいつもこうなんだ。
テーブルに頬杖をついて、アルトは嘆息した。 周囲では隣の席の人間の話し声すら聞こえないほど騒がしく、店内に設置された大型テレビからは延々とランカの歌声が流れている。 そうかと思えばいつの間にやらできていた店のこじんまりとしたステージではシェリルがマイクを手放さず、踊りながら「私の歌を聴けぇぇぇぇ!!」をすでに三十回ほど繰り返していた。当然三十曲は歌っている計算になる。毎回叫ぶ必要はないと思うのだが、おそらくすぐ近くのテーブルに置いてあるグラスの中身がなくならないことに原因があるように思える。 ステージを囲むようにして大柄な軍人や女性陣が踊りをトレースしつつ野太い歓声を上げ、これもまた中華料理屋になぜあるのか疑問は尽きないが天井のミラーボールがくるくる回ってもはや何が何やら分からない。 すでに店に入って早四時間が経過していたが、騒ぎはさらにヒートアップしていく一方だった。 さっきまで同じテーブルに座っていたルカはバイトの勤務時間を終えたナナセと一緒に別のテーブルで熱心にお絵かきっこをしている。ナナセは真面目にランカの衣装を考えつつ、デザインをルカに見せているようだが、ルカはにこにこしながらすべてのナナセの意見を肯定するだけで、たまに渡されたスケッチブックに理解不能な数式やとぐろを描いては無駄に鉛筆の先を減らしていた。 さて、ミハエルは、というと。 アルトは小さく首を動かし後ろを見てから、すぐに前へ向きなおりおもしろくなさそうにウーロン茶を煽った。 すぐ後ろのテーブルで、やたらいい声のミハエルが数人の女性陣とおしゃべりをしている。 「そうそう。花言葉の起源は英国のエリザベス朝からヴィクトリア朝にかけて発展したと言われているんだ。ちなみに365日あるんだよ。さて、今日は何でしょう?」 「え、そんなにあるの?ミシェル君は物知りだよねえ」 「でも誕生日の花言葉があるんだから、確かに365日あるに決まってるわね」 「そうか。そう言えばそうね」 三人のオペレータ娘に囲まれ、ミハエルはにこにこしている。 (楽しそうで何よりだな) アルトは、ひとつの疑惑を持っていた。 それは三人娘のうちのひとり、ラム・ホアについてだ。 最近、SMS内でラムとミハエルが一緒に食事をしたり廊下で話しているのをよく目撃するようになった。 カップルのような甘ったるい雰囲気ではないし、ミハエルが女性と仲良くしているのを見るのは日常茶飯事だ。 だがアルトは何となく引っかかるものを感じて気が気ではない。 だいたい、オペレータとパイロットは任務中はともかく、日常では特に接点がない。 彼女たちはいつも三人でいることが多いし、年上である。男子高校生の自分たちとは生活の仕方が違うのだ。 なのになぜこうもたびたび二人でいるところを見るのか、不思議で仕方ない。 というより、ミハエルの行動を気にしている自分が嫌だった。 ちっと舌打ちしてもう一度溜息をつくと、目の前に赤い液体の入ったコップが置かれて顔を上げた。 「機嫌悪そうねえ」 「グラス中尉」 キャシーはにこりと笑って、アルトの隣の椅子を引いて座った。 もう片方の手に持っていた自分のグラスを置いて、赤い唇を引き上げる。 「どうしたの?つまらない顔してる」 「中尉こそ何やってるんですか。隊長は?」 「あっちで潰れてるわ」 仕方ないわね、と呆れたように見る先には、テーブルにうつぶせて眠りこけるオズマと、背後で何やら怪しいオーラをだしているボビーがいた。 逃げてぇぇぇ、と思ったが、おもしろいので放っておくことにする。 せめてキャシーがボビーを追い払えよと思ったが、彼女は興味なさそうだった。 ある意味一番ボビーを信頼しているのかもしれない。 オズマではなくボビーを、というところが少々複雑であるが。 「やきもち?」 「はぁ!?」 ずばっと切り込んでくるキャシーに、アルトはのけぞって声を上げた。 よく見ると彼女の頬は赤く染まっている。 完全に酔っぱらっている。 嫌な予感がして逃げようと腰を浮かしたが、素早くキャシーに腕をつかまれた。 ぎしぎしと骨が痛む。 「折れる!折れる!痛いって!!」 「まあまあ。お姉さんに相談してごらんなさいよ」 「いや結構です」 「彼のことでしょう?最近仲いいのよねあのふたり」 と、盛り上がっている後ろのテーブルをちらっと目で指した。 「……中尉もそう思う?」 「思う。こそこそ相談してるみたいよ。いやらしいわねえ」 「いやらしいって……」 サアッと血の気が引いて行くような気がした。 ミハエルが女好きなのはもう仕方ない。病気のようなものだと諦めている。 それでも彼は、真面目な顔で言ったのだ。 『俺が好きなのはおまえだけだよ、アルト』 もう数え切れないくらいその言葉を疑っては一方的に喧嘩をしたりもしたが、それでもアルトはミハエルを信じていた。 いつだって彼は優しい。 アルトは決して女の代わりではないのだから、もう女は抱かない、と彼は宣言した。 矛盾しているようで実は真摯な告白である。 だがキャシーの目から見ても疑わしいということは、やはり何かあるのだ。 こういうときの女性の勘は無視できないものである(と矢三郎が言っていた)。 「あいつ……」 確かにラムは魅力的だ。多少毒舌がすぎるときもあるが、とても可愛らしいし、媚びない性格は男女双方から支持されることが多いだろう。 いつの間にかうつむいてテーブルの染みを指でなぞっていたアルトに、キャシーは年上の女性らしく、ぽんと肩を叩いた。 「今日は飲みましょう!飲んであんな男捨てちゃえばいいのよ!」 よく分からないが、ノリと勢いに負けて、アルトは差し出されたコップを握りしめ、一気に赤い液体を煽った。 トマトジュースかと思っていたが、甘ったるいそれはアルコールだったらしい。
PR |
![]() |
おまえバカ?と、心底呆れたような目つきと口調で言われたので、さすがにむっとしてミハエルは舌打ちした。 バカかそうでないかと言われればアルト姫バカだぜ!と胸を張って言えるところだが、さすがに空気が読めない奴と思われるのはいやなので黙っておく。 冷やかな視線は氷のようで、切れ長の目は蔑みの色に満ちている。 ミハエルはM属性ではないので、はっきり言ってイラッとくるだけで胸がきゅんとなったりもっと罵って下さいと悦に浸ったりはしなかった。 むしろ、怒鳴ったり罵倒したりしながらいちいち突っかかるアルトの方がその気があるのではないだろうか。 わざとやっていないにしてもタチが悪い。いじめたくなる。しまいには泣かせてあんあん言わせたいところだ。 「なににやにやしてるんだよ。もしかしておまえマゾか?バカと言われて喜ぶマゾなのか?」 「違う!おまえと一緒にするな」 「なんだと!?俺のどこがマゾだって言うんだ!」 「存在がだ!」 「意味分んねえよこの変態サディスト野郎」 「サドだろうがマゾだろうがどうでもいいんだよ、それよりどうするんだ」 「聞きたいのはこっちの方だボケカスヤリチン!」 「誰がカスだ!」 「突っ込むところはそこだけか?そこだけでいいのか?」 シャッターの閉まった店の軒下でぎゃんぎゃん怒鳴り合う男子高校生ふたりの姿に、人々は微妙に距離をあけて足早に通り過ぎていく。 周囲の様子に気づいて、ふたりは黙りこんだ。 「・・・おまえ今日雨降らないって言った」 「間違えたんだよ。朝ちらっと見たニュースの天気は今日のじゃなくて四日前のだった」 「明日とか明後日のとかならともかく何で過去の分と間違えるんだよ!ふざけんな」 「おまえね」 はあぁ、と盛大にため息をついて、肩を寄せ合っていたアルトの方を向く。 「じゃあおまえがチェックしろよ。こっちはぎりぎりまで起きないおまえを叩き起して着替えを渡してやって髪まで結んでやって腕ひっぱって食堂連れていったり忙しいんだよ!せめて起こしたら一回で起きろ!」 「起きるよ!起きるけど二度寝しちゃうんだから仕方ないだろ」 拗ねたようにそっぽ向く。 実家にいた頃はもっと規則正しい生活をしていたはずではなかったのか。 もしかしてお手伝いさんに「坊ちゃん朝ですよ起きて下さい」とでも起こされていたのだろうか。名家の家庭内事情は分からない。 ひらひらスカートのメイドさんが優しく微笑みながらおはようございますのチュウとかしていたらどうしよう。ここはやはり自分がおはようのチュウをしてやるべきなのだろうか。その場合ほっぺたにするべきか、ここは大人の余裕を見せて唇にしてやるべきか。しかし相手は寝ている。おはようのチュウは起こすための行為であって、唇に触れてはいおしまいでは意味がない。だからと言って朝っぱらか濃いキスなどしたら大変である。それに寝ている相手にそんなことしても楽しくない。やるなら徹底的にがミハエルのモットーだ。 「分ったよ。明日からは鼻つまんでチュウするから」 「ハァ!?」 何の話だそりゃ、とアルトは顔をひきつらせて三歩あとずさった。 屋根から落ちる水滴が肩にかかって染みを作っていく。薄い制服がじっとりと濡れて広がっていった。 「おまえの脳みそがどうなってるのかさっぱり分からないんだけど俺」 「見せてやりたいのは山々だが想像してくれとしか言えないな」 「想像したらぶっ殺したくなるんですけど」 「痛くしないでください」 それより濡れてるぞ、と腕をひっぱられ、肩を抱き込まれた。言っていることとやっていることがバラバラで困惑する。むしろ黙ってろと言いたい。 色とりどりの傘が目の前を通過していくのをぼんやり眺めながら、さりげなく熱を帯びたミハエルのてのひらを外して横目でちらりと見る。黙っていればいい男なのに、と、自分のことを棚に上げて考えた。獲物を狙うときの鋭い目も、皮肉っぽくつりあがる唇も、はじめはなんていけすかない奴だと思ったが今では嫌いではない。 まじまじと見つめるアルトの視線を感じながら、ミハエルは気づかないふりをして正面を見ていた。思わず緩みそうになる頬に力を入れて無表情を作る。ここで笑ったりからかったりすればきっとまた彼は怒ってそっぽ向いてしまうだろう。 自分が見つめられている、というのは気恥ずかしいが、とてもうれしいものだ。それが好きな相手ならなおさら。だがそれ以上に、見られるより眺めていたいとも思う。彼の背中を何気なしに見つめている時、居眠りしているのを微笑みながら眺めている時。たまにびくりと体を揺らして顔を上げ、なんだよと不機嫌そうに尋ねるのがたまらない。今俺の視線に気づいたのだろう、とからかいたくなる。どれだけ熱い視線を送っているか、どれだけいつも見ているか、きっとアルトは気づいているのだ。 「なあミシェル・・・」 「ん」 なんだよ、と横を向くと、やはり長いまつげを揺らしながらこちらを見ているアルトの瞳とぶつかった。 「キスしてみるか?」 「・・・・・・・・・・・え?」 なにこれ、なんだこれ。どういう展開?これは白昼夢ですか? ぐるぐると混乱しつつぽかんとしているミハエルに、アルトは舌を突き出した。 「嘘だよばーか」 「・・・・・・・・・・てっめえ純情な男心をもてあそびやがって」 一瞬本気にして思考停止した自分が恥ずかしくて怒鳴る。つきあってられるか。 ばかばかしい、と、ミハエルは濡れて色の変わった道路へと歩き出す。 「おい、なにやってんだよ!」 「うるさいよ。おまえ明日は鼻つまんでチューだからな!息が止まる寸前まで放してやんねえから!」 「殺す気かよ!」 ああそうですよ、死にかける直前まで俺の顔だけ見ていればいい。 振り返りもせずに早足で歩くミハエルを、慌ててアルトが追ってくる。 この距離感は、きらいじゃない。 |
![]() |
眠い、眠い、死ぬほど眠い。 ふらふらと歩きながら、アルトはうっすらと遠くなりそうな意識を必死で引き戻しながらあくびを繰り返していた。 訓練を終え、シャワーを浴びたところまでは良かったが、汗を流してさっぱりすると今度は上昇した体温が心地よく、意地悪な睡魔がこれでもかというように誘惑してきた。髪を結ぶのも面倒になり、途中で諦めたそれは緩く引っかかったままさらさらと肩から背中へと流れている。かろうじて紐は落ちないように気をつけたが、まるで役には立っていなかった。 足取りも重く、もういっそこのまま倒れこんで眠ってしまおうかとさえ考える。 億劫そうに顔を上げると、割り当てられている自室よりも待機室の方がここから近いことに気づき、ずるずると壁に手をついたままそちらへと向かうことにした。就寝時間まではまだあるので誰かがいるだろうが、一度眠ってしまえば人の話し声など気にならない。 なんとか辿り着いて中をのぞくと、カウンタにはいつものようにボビーが立っており、その前に座っているミハエルがいち早くこちらへ気づいて軽く手を挙げた。適当によろよろと手を振って、部屋の隅に置かれた古臭いソファへと歩み寄る。 途中、大画面モニタに映る愛しい妹の歌う姿を食い入るように見つめている我らが隊長の姿もあったが、気づかないようなので放っておく。ルカはいないようだ。他にちらほらと数人、やはり暇そうにだらだらしている。 今は準非常態勢ではなかったのか。バジュラの脅威はどうした。だがそんな疑問も睡魔の前では面倒な数式のようにこんがらがって、やがては消え失せて行った。もうどうでもいいから寝かせてくれ。 どさっと行儀悪く座り込み、もこもこして邪魔なフライトジャケットを脱ぎ捨てると、アルトはそのまま横倒しになった。糸の綻びかけたぺしゃんこのクッションを枕にぐいと頬をおしつけて目を閉じる。 ふわふわとした浮遊感に全身包まれたような気持ちのいい感覚に襲われたかと思うとあっというまに意識は飛んでいった。 あーあ、またやってる。 一部始終をずっと目で追っていたミハエルは、撃沈してしまったお姫さまを遠目に見やってくすりと笑った。 ロッカールームやシャワールームでうっかり倒れられるよりはずっとましと言うものだ。散々叱りつけた効果だろうか、とも思ったが、あの高慢チキなアルト姫がそんな殊勝なはずもない。どうせ、硬いベンチや椅子だと目が覚めたとき背中が痛かったとか、そんなところだろう。 確かにトレーニングルームからは自室よりもここか娯楽室の方が幾分近く、娯楽室よりもここの方が遥かに静かだ。バカ騒ぎしたい奴はあっちへ、大人しくテレビを見たりゆっくり酒を飲みたい奴はこっちへ。人の流れは分散し、それぞれの空気ができあがる。 そしてここには古いがそれなりに柔らかいソファがあった。だがわざわざテレビモニタの見えにくいそのソファに座ってくつろぐ者などめったにおらず、いつの間にか睡魔に負けたアルト姫の居眠り専用と化している。そのうち『眠り姫専用』とでも張り紙がされるに違いない。 こうして目の届く場所にいるうちは、ミハエルもうるさくは言わなかった。 見ないふりをしていても、悪い虫がうっかり手を出そうとしないかきちんと監視していられるからだ。そしてそのことは隊員のみなが知っている。 ふたりの関係がどうとまではバレていないだろう。ただ、新入りのお姫さまとやたら彼の世話を焼きたがる相棒。周囲から見た自分たちの関係性はそれでいいと思っている。 歌番組がエンディングへと流れ、ランカがおじぎをしながら手を振ったところでカメラはCMへと切り替わり、身じろぎひとつせずその画面を見つめていたオズマはやっとほっとした表情で背伸びをした。 ついでにモニタの斜め下あたりに目をやって、ようやく自分の部下の存在に気づく。 「おいまた寝てるのか」 わざわざこんなうるさいところでよく寝ていられるな、と感心したように顎をさすって、立ち上がる。 起こそうかとソファへ近づいていくと、ふだん口ばかりは達者でちっとも可愛げのない部下は気持ち良さそうに熟睡していた。たまにぴくぴくとまぶたが痙攣したり、薄く開かれた唇からはふがふがと寝言のような意味不明な音が聞こえる。むにゃむにゃならまだしもふがふがって。これで顔が良くなければイラッとした挙句ゲンコツのひとつでもくれてやるところだったが、おそらくそんなことをすればこの場にいる全員から冷たい視線を浴びることだろう。 背中に強い視線を感じたが、オズマは振り返ることをしなかった。分かっている。どうせ振り向いたところで視線の主は何事もなかったかのようににこりと愛想笑いを返してくるだろう。眼鏡の奥の緑の瞳を光らせながら。 ぞくっと悪寒がするのを考えないようにしながら、どこから引っ張ってきたのか分からない薄い毛布からはみ出ている骨ばった肩を軽く揺すった。 「おい」 「んー」 不満そうなうめき声を上げながら、もそもそとアルトが腕を動かす。体の下に挟まっていた手が痺れでもしたか。 「そろそろ部屋に戻れ。子供じゃあるまいし」 いやまだ中身は子供だが、と心の中で自分に突っ込みを入れながら毛布を引っぺがす。 ふわりと舞うそれをぞんざいに放り投げると、あ、とどこからか声がした。 静電気のせいか、毛布に引きずられるようにして青い髪がさらりと宙に流れ、やがて持ち主の元へとかえっていく。まるでスローモーションのようにその映像がまぶたの裏にはりついて、オズマは目をみはった。 おいおい何だこれは。勘弁してほしい。まさかこんな子供に、しかも男に見惚れるなんておそろしいことがあってたまるか。 「いやいやいや。ないない。それはない」 「何がですか」 「うわぁ!?」 寝汚く体を丸めたままのアルトを眺めているとふいに後ろからやけに優しい声が聞こえて振り返る。しまった、無視すれば良かった。 「せっかく気を利かせた中尉殿がわざわざ自分の部屋から毛布を持ってきて、思い切ってかけてあげたのに」 そう言ってミハエルがちらりと目をやる先に、中腰の姿勢で慌てて目をそらす男がひとり。さきほど聞こえた声はこいつのか。 それにしても眠りこけたアルトのためにわざわざ部屋まで行って毛布を持ってくるという、その胸中が知りたい。 自分なら・・・そんな手間などかけず、自分が着ているジャケットをかけてやるだろう。その方が早い。 「ん?」 待て、今何を考えた? 今度こそぞくりと背筋が寒くなって、オズマはミハエルの視線にも気づかず両手で腕をこすった。風邪でも引いただろうか。 「ほら姫。そろそろ起きないと」 さりげなく、ミハエルがオズマの体をおしのけてしゃがみこみ、優しく声をかけた。 こんな喋り方をする奴だったか。もっと理知的で、人との距離感を何よりも大事にする優秀なスナイパーだったはず。信頼できる部下の性格を今さらながらに疑うオズマである。 「んー。眠い」 「だから部屋に帰ろう。ほら肩」 目をこすりながらぐちぐちと文句を言うアルトの白く頼りないように見える腕を自分の肩にまわし、腰に手をまわして立ち上がらせる。ミハエルの挙動をまじまじと見つめてしまう。大事な宝物を扱うように触れる場所から目が離せない。 自分だったら。 (自分だったら?) 何故自分と比較するのか。一発頭をぶん殴って怒鳴って、終わりではないのか? もたれあいながらゆっくりした歩調に合わせ、ふたりは待機室を出て行った。 一瞬ミハエルがこちらを見てにやりと笑ったような気がしたが、おそらく目の錯覚だろう。 ミハエルは自分に対してそんな笑い方をするやつではないのだから。 アルトに触れるミハエルの手に激しく動揺したのは、女に対するように扱うことへの苛立ちに過ぎない。 ただそれだけだ。 「だよな」 うん、とひとり無理やり納得して、オズマは床に放り出されたままの毛布をわざと踏みつけながらボビーの立つカウンタへと歩み寄った。 そうだ、と、忘れられているアルトのジャケットを手にとって埃を払う。 足跡のついた毛布を拾う持ち主の愚痴など、全く聞こえなかった。 |
![]() |
いや何ていうか、これは本当にすまなかった。 と、非常に珍しいことに、アルトが頭をかきながら謝罪の言葉を口にした。ちゃんと目を見ていいなさい、と説教したい気分だったが、謝っただけ進歩したなと苦笑する。 そもそも早乙女アルトという人物は、根っからの箱入りで育ちはいいが実家を飛び出して自活していただけあってそれなりに世間常識は知っている、はずである。それでも中学までは何かと守られるようにして生きていたから、周囲に対する警戒心が薄く無防備だ。天然とでもいうのだろうか。 パーソナルスペースが狭い。 沸点が低く感情的。 口が悪いのは厳しいしつけの反動だろうか。 服装がだらしない。これも親の厳しいしつけの反動か、わざとやっているようにも見える。 素直じゃない。度を過ぎるとさすがの俺もイラッとくるのだが、それにも慣れてしまった。 どうやら、思っていることをそのまま口に出す場合と、逆に思っていないことをぽろっと言ってしまって後でこっそり反省することもあるらしい。 これも友人として付き合い始めてから分かってきたことで、はじめは何て性格の悪いやつだと思っていた。 きっと好きな女性ができても素直に好きだの愛してるだの、絶対言えないだろう。損なやつだ。 「で。これはどういうことかな、アルト姫?」 にこりと笑って、ひしゃげたテンプルを持ち軽く振るとアルトは気まずそうな顔で唇の両端を下げた。 愛想笑いのひとつもすれば可愛くない性格も可愛く見えるだろうに、これもまた損なところ。 こいつが爆笑しているところを見たことがあっただろうか。 俺が落とし穴にでもはまれば腹を抱えて笑ってくれるかな。 「いや・・・それが。朝慌てて鞄にテキスト詰め込んでて机の上漁ってたら、置かれてた眼鏡がこう、すぽーんと」 「飛んでいったわけ。へぇ。眼鏡に羽がはえてたなんて初めて知ったよ」 「俺の不注意でぶッ飛ばしました」 ぱしーんと手が当たって、とんでっけーしてしまいました。 ごまかすように擬音を連発しながらしどろもどろに説明して、ちらりと上目遣いで様子を伺う。 そのしぐさがいたずらを叱られた子供そのもので、思わずぷっと吹いてしまった。 見る間にアルトの顔が赤くなる。 「笑うなよ」 せっかく素直に謝っているのに。そう言って恥ずかしくなったのかぷいとそっぽ向いてしまった。 小学生並である。どうしよう、あんな外見で散々周りで色っぽいだの女みたいだの抱いてみてーだの言われているくせに、色気のイの字も見えない俺。 言っておくが、男に欲情するほど飢えていないし、そもそもいくら美人だの姫だの言っていてもこいつに妙なことしたいとか、思ったことはない。 ないはずだ。当たり前だ。脱いだら俺と同じものついてるんだぞ。 ちらっとやつの下半身を見てついため息をついてしまった。 「ともかく、それけっこういい値段するんだぞ。特注品だし」 普通の眼鏡と違ってわざわざ視力を下げるためのものだ。その辺の眼鏡屋で売っているものではない。 見えすぎることが日常生活に支障をきたすなんて、厄介な話だ。 逆矯正しているのだと最初にアルトに話した時、おもしろいほど不思議そうな顔をしたっけか。 あの顔は最高だった。ぽかんと目を口を開けて思考が一時停止。思わず写真をとろうと携帯をとりだしたがタッチの差で睨まれてしまった。 美人が間抜けな顔をしたときは本当に笑える。たまに寝ているときよだれが垂れているのもおもしろい。本人は気づいていないだろうが。 そのうちアルト姫のおもしろ顔コレクションを作ろうと思っている。 「弁償する。どこに行けばいい?」 「ま、いいけどね。弁償はしなくてもいいけど、じゃあオーダーしに行くとき付いてきてくれよ」 「いいよ弁償する」 「おまえのその、少ない給料で?」 「う」 下っぱの新人が受け取る給料など微々たるものだ。 アルトの場合、学費は奨学金をもらっているので全て免除されている。これは首席の俺も同じこと。自活しているときの生活費は、貯蓄していた舞台にたっていたときのギャラとバイトで賄っていたようだ。SMSに入隊してからの生活費は保障されているので、眼鏡代金のひとつやふたつ払ってもらっても良かったのだが。 アルトも同じことを思ったらしく、でもそのくらい払える、と言いかけたが俺はそれを制した。 「それより買い物に付き合ってほしいんだけどね。金より時間もらう方が贅沢だろ?」 「・・・・はあ?」 俺の高度な口説きテクニックは予想どおりこいつには通じなかったらしい。分かってやっている俺も気持ち悪い。 その後俺たちはなんだかんだと他愛のない会話をだらだらしながら、食事をとることにした。 ***************************************************************** こうしてふたりで街をぶらぶらと散策することは少なくない。 ルカを交えて三人で行動することも多いが、俺とアルトは選択したほぼすべての学科が重なっているからやはり一緒に行動することが一番多い。 くたびれた鞄を肩から斜めがけにして、両手をポケットに突っ込んで歩くアルトの姿を見ながら半歩遅れてついていく。 なんでお前が先に歩くわけ?こういう、あまり、というよりほとんど周囲を見ないのが我まま姫と呼ばれる(俺が呼んでいるのだが)所以である。すれ違う人が驚いたように振り返るのも、女の子が一瞬立ち止まるのも、あいつには見えていない。意識して見ないふりをしているのかと思ったが、やっぱり彼の視界には入っていないようだ。もったいないというか、鈍いというか。 ちらりと視線が交わった可愛い女の子ににこりと笑いかけながら、ずんずん歩くアルトの腕を掴んだ。 「そっちじゃない。こっち」 「え?」 なぜかびっくりしたように振り返る。ふわりと長い髪が風に揺れて、赤い結紐が鮮やかに踊った。きれいだと思う。慣れていなければ思わず見とれてしまうほどに、奇跡のような美しさだ。 と、そこまで考えて俺はぞっとした。うわ俺、気持ち悪い。 「なんだよ変な顔して」 「失礼な奴だな。この俺をつかまえて変な顔とは」 揺らいだ感情を抑えこんで、笑った。 いつもの癖で眼鏡を押し上げようとして今日はかけていないことに気づく。 ああそうか、余計なことを考えてしまうのは余計なものまで見えてしまうせいだ。つまりはアルト姫のせい。 「この路地抜けたところにオーダーメイドの店があるんだ」 「へえ。なあ、俺も眼鏡かけたら似合うかな」 「おまえが?」 なんでだよ、と笑って、姫が眼鏡をかけた姿を想像した。似合わない、ことはないと思う。美人は眼鏡をかけようが鼻眼鏡をかけようが、美人に変わりはないだろう。 「その目つきの悪さがカバーされていいかもな」 「なんだとぉ!?」 拳を握って迫ってくるアルトの肩を抱え込んでげらげら笑った。 これほど距離を近づけても嫌がらないのは、俺だからか、それともそこまで気が回らないのか複雑なところだ。俺なら、男にべたべたされていい気もちはしないのだが。 ふいにアルトが黙りこんだ。肩を組んだままちらりと見やると、すぐそばに切れ長の目がこちらをのぞきこんでいて、彼の瞳に俺の顔が映っている。 (近い、近い) 誰のせいだ、ああ俺か。 「どうした姫?俺の美しさに惚れたか?」 「ふっふざけんな」 慌てて腕を振り払い、鼻息荒く一歩距離をとる。 「ただ、眼鏡をかけてないおまえの顔ちゃんと見るの初めてだなって」 「そうだっけ?風呂とか、寝るときとか外してるじゃないか」 「でも風呂とか寝るときにまじまじと観察なんかしないだろ」 「そりゃそうだ」 そんなことができるのは、一晩同じベッドで眠る彼女くらいのものか。いや一緒に風呂に入ったりはしないけれど。 あと寝顔を人に見られるのは嫌いだ。おそらくアルトは俺の寝顔などほとんど見たことはないはずだ。逆ならもう数え切れないほど見ているけれど。 「な、アルト。眼鏡かけてる俺とかけていない方、どっちがカッコイイ?」 「はァ?」 うわ、思い切り嫌そうな顔しやがって。傷つく。 歪んだ顔は美人だけど不細工だ。これもおもしろ顔コレクションに追加したい。だがカメラを構える暇もない。 「そうだな」 どうでもいい、という答えを待っていたが、アルトは立ち止って腕を組むと真剣に考え出した。おそらく彼の脳内で、ふたつの俺の顔がうつしだされているに違いない。おもしろいので答えが出るまで放っておいた。割りとくだらないことに頭を悩ませるやつだ。 「やっぱいいつものがいいか」 「ふうん。なんで」 腕を組んで仁王立ちしたまま、アルトが首を傾げる。胸から下は男らしいがそれより上はまるでクイズの難問に挑戦する少女のようだ。への字口なのが残念だが。 「その方が嫌みっぽく見えるから」 うん、と勝手に納得したようにうなずいて、俺の返事を待たないまますたすたと店の方へ歩いて行く。 「おいおいおい。そりゃどういう意味だよ」 追いついて並ぶと、アルトはすっと目を細めて軽く舌打ちした。 その癖やめろってもう何度も言っている。 新人のくせに人の話を聞こうとしなかったり、面倒だと思うとこうして舌打ちしたり。 軍に行かなくて正解だ。あっちはSMSの何倍も厳しいし、上の目の届かないところで下っ端がどんな目に合うかなんて誰でも大体の予想はつく。それがこんな女みたいな顔していればなおさら、いじめられるか、下手をすれば暴行事件勃発だ。殴る蹴るではすまないだろう。 はじめは反対したが、最終的にこいつのSMS入隊を認めたのも軍に入られるといろいろと面倒だと思ったからだ。そんな俺の気遣いなんてこれっぽっちも気づいていないだろうが。もちろん気づかれても困る。 だからと言ってSMSで横柄な態度をとってもいいというわけではないが、そこそこうまくやっているのは気のいい連中におもちゃにされながらも気に入られているからだろう。からかうとおもしろいのは俺とのやりとりで実証済みだ。 いつものように「下品だぞ」と注意して言葉を待つと、アルトは目をそらしながらどうでもよさそうに吐き捨てた。 「おまえの視力が良すぎるからかもしれないけどさ、なんかフィルター通してないと何でも見透かされそうで嫌なんだよ。気持ち悪い」 「おまえさらっとひどいな」 「おまえ相手に取り繕っても仕方ないだろ!」 悪いか、と逆切れして今度こそ俺をおいてさっさと行ってしまった。 あれ、いま嬉しいこと言ってくれなかったか? 気のせいか? ぐるぐる回る頭をかいて、後を追う。 俺ってどれだけ気持ち悪い人間なんだよ。 |
![]() |
人工的に制御されているとはいえ、火照った体をくすぐる風が気持ちいい。
ひとしきり低い空を飛んで、満足したところで制服に着替えたアルトはひとり屋上にいた。つい数十分前まで一緒に行動していた仲間たちはいまごろ門をくぐっているだろう。今日はどこぞの人気の屋台で新作のクレープがお披露目なのだと嬉しそうに笑っていたから、全員そちらへ流れて行ったに違いない。いい年したしかも男がクレープ。もちろん、大勢湧いてくるだろう女の子目当なのもあるだろう。 初日限定三十パーセントオフはアルトにとっても魅力的な誘いだったが、それよりもひとりになりたかった。 SMSに正式入隊してから、ひとりになる時間というのは見る間に減っていった。それまで一人暮らししていた場所から宿舎へ。SMSの中にはどこにでも人がいる。部屋はミハエルと同室だし、食事をするときもトレーニングをするときも常に誰かの目があった。慣れたとはいえ今でも若干の煩わしさがある。 それまではただ飛行するのが目的だった学校という場所が、いつのまにかぼんやり考え事をする大切な場所になってしまった。もちろんそれはアルト自身が望み、また覚悟したことであって、文句を言うのも筋違いである。それに部屋では寝るとき以外ほとんどミハエルの姿はない。忙しい訓練の隙を見ては女の子とデートを楽しんでるのだろう。そういう、自由に遊ぶ時間をうまく使うのも大事なのだとミハエルはしたり顔で説いていた。おまえももっと空いた時間を楽しめと、からかっているのか本気で心配しているのかはわからないが、よく言われる。 「そんなこと言われてもなあ」 片膝を抱えるようにして背を丸めて、溜息を吐く。 今何がやりたいか、と問われれば、迷わず空を飛びたい、と答えるだろう。 この青い空がどこまでも続いていれば。 この、色のない風がもっと優しい音で吹いていれば。 もう何も欲しいものなどないのだろうか。 ふと背中に人の気配を感じた。振り返りはせずに、相手が声をかけてくるか、それともそのまま去って行ってしまうか任せてしまうことする。 けれど、この、拒絶してるオーラでも感じ取ってどこかへ行ってくれよなどと無茶なことを考えていると、足音は隠そうともせずこちらへ向かってきた。 心の中で舌うちしながら振り返ろうとすると、急に背中を抱き込まれて一瞬混乱する。 「なんだよてめえ!」 腕を振り上げて突き飛ばそうとして、だが視界いっぱいに金色の髪と緑が飛び込んできて思わず動きを止めてしまった。 「危ないなあ」 「ミハエル!」 せりふとは裏腹にのんびりした口調で笑って、ミハエルはアルトの背中を抱きしめ、すっぽりと自分の体でアルトを抱え込んでしまった。ぴたりと体がはりついて、服で隔てられているはずなのにひどく熱くなる。鼓動がばくばくと大きな音をたてはじめたのを悟られないようにとアルトは声を上げた。 「暑苦しい!邪魔だどけよ!」 「やだね。誰も見てないよ」 「そういう問題じゃない!」 確かにこの屋上は基本的にパイロット科以外は立ち入り禁止で、もうこの時間から飛び立とうとする生徒はいないため誰もこないと思われる。だが問題はそんなことではない。閉鎖されていない広い空間でこうして密着していることが恥ずかしくてたまらない。高いところから見下ろしているモニタが監視しているようで不愉快だ。流れてくる音楽がよく知ったものであるなら、なおさら。ここがふたりが寝起きする狭い部屋ではないのだと主張しているようで。 「暴れるなって。髪がくすぐったいよ姫」 「なら離れろよ。だいたいおまえ、今日デートじゃなかったのか」 「違うって。告白されただけ。もしかして俺が毎日デートしてるとでも思っているのか、アルト姫?」 「告白ね。ふうん」 そりゃお盛んなことで、と憎まれ口を叩いて唇を尖らせたアルトに、ミハエルは苦笑して白い頬をひっぱった。 「あにすんだよ!」 ぱしっと手を振り払われ、睨まれた。 「一年の芸能科の子でさ、来月デビューするっていうから。新人アイドルが男と付き合ってたりするのはまずいんじゃないかなって断ってきた」 「あっそ」 自分には関係ないし、と冷たく言い捨てて視線を外すと、邪魔なミハエルの腕をおしのけてポケットから白い紙を取り出した。それがテストのメモ用にと教室に常備されているものであることに気付いて、ミハエルは眼鏡を押し上げる。メモ紙なのにいっさい何も書かれていないのは使用方法を間違えているせいだ。 「ありえない勢いでメモ用紙が減っていくのはおまえのせいか」 「いいだろ、どうせゴミになるんだし」 資源の無駄だぜ、と笑って、床に置くと器用な手つきで折り曲げていく。 「紙飛行機は資源の無駄ではないのかな、お姫さま」 「飛ぶために使うのは無駄じゃない」 「どういう理屈だ」 「じゃあ、俺が楽しいから無駄じゃない」 「・・・・ああ、なるほど」 納得するような、しないような。 微妙な顔をするミハエルを無視して、大きく羽を広げた小さな紙飛行機を手に狙いを定めた。顔をあげるとミハエルの顎にごつんとぶつかる。 「痛いよ姫」 「うるさい」 邪魔するなよ、と目を細めると、二千で終わる青空へと飛ばした。 「あれに乗れたらいいのになあ」 アルトがぽつりと呟く。ミハエルはそっとアルトの腹に両手をまわして抱きしめると彼の頭に触れるだけのキスを落とす。 「意外とメルヘンチックだね姫は」 複座型なら乗ってもいいけれど、と思いながら、風に乗って上昇する紙飛行機を眺める。 いつか、暗い宇宙ではなく青い空をどこまでも飛べたら幸せだと、あの紙飛行機に乗ってはしゃぐ姿を想像して目を閉じた。 |
![]() |